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長崎地方裁判所 昭和58年(行ウ)4号 判決 1985年12月24日

原告

長崎生コンクリート株式会社

右代表者代表取締役

上野喜一郎

右訴訟代理人弁護士

木村憲正

被告

長崎県地方労働委員会

右代表者会長

藤原千尋

右訴訟代理人弁護士

柴田國義

右指定代理人

福田宗昭

参加人

長崎生コンクリート労働組合

右代表者執行委員長

本田喜久美

参加人

高比良恵司

参加人

福島強

右参加人三名訴訟代理人弁護士

塩塚節夫

主文

一  被告が、長崎県地方労働委員会昭和五七年(不)第一号不当労働行為救済命令申立事件について、昭和五八年七月九日付で発した命令のうち、参加人高比良恵司に対して昭和五七年三月一五日付の転勤命令が発効した日から現職復帰までの諸給与相当額(これに対する年五分の割合による金額を含む。)を支払うことを命じた部分を取り消す。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、原告と被告の間で生じたものはこれを二分しその一を被告の負担とし、その余を原告の負担とし、原告と参加人の間で生じたものはこれを二分しその一を参加人の負担とし、その余を原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が、長崎県地方労働委員会(以下「長崎地労委」という。)昭和五七年(不)第一号不当労働行為救済命令申立事件について、昭和五八年七月九日付で発した命令を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  参加人長崎生コンクリート労働組合(以下「第一組合」ともいう。)、同高比良恵司(以下「高比良」という。)及び同福島強(以下「福島」という。)は、被告に対し、原告(以下「会社」ともいう。)を被申立人とする不当労働行為救済申立〔長崎地労委昭和五七年(不)第一号不当労働行為救済申立事件〕をしたところ、被告は、別紙命令(以下「本件救済命令」という。)を昭和五八年七月九日付でなし、同命令を同月二一日原告に交付した。

2  本件救済命令は、原告が昭和五七年三月一五日付で行った高比良及び福島に対する転勤命令(以下「本件転勤命令」という。)を不当労働行為であると判断し、右転勤命令の撤回と高比良に対する原職復帰までの間諸給与相当額の支払(以下「バックペイ」ともいう。)等を命じている。

しかし、右命令は、事実の認定評価及び法律の適用を誤った違法なものである。すなわち、

(一) 本件転勤命令の必要性についての事実認定の誤り

本件救済命令は、以下に述べるように、転勤により、第一組合及び労働者の受ける不利益を過大に評価するとともに、転勤の業務上の必要性を過小評価したものであって、事実の認定に重大な誤りがある。

(1) 本件救済命令は、転勤の業務上の必要性について、認定又は判断をしているが、以下に述べるとおり誤りがある。

ア 近年原告の出荷実績は、会社全体でみると、漸減の傾向にあり、本件転勤命令直前の昭和五七年一月から三月期の各工場別出荷実績を前年同期に比べてみると、本社・小江原、大村、島原及び小長井の各工場は減少し、小浜工場だけが増加している。

イ この点につき本件救済命令は、「各工場の昭和五六年各四半期の出荷料の推移、同五七年四月以降の出荷実績の増減をみると、直ちに小浜工場の繁忙、大村工場の閑散の傾向が長期化ないし恒常化するとは即断できないし、仮にそのような傾向が認められるとしても、各工場の出荷状況、繁閑の度合に応じ、工場間で車両及び運転手を臨時雇用するなど、従来どおりの対応策を試みる余地がなかったとはいえず、本件転勤命令に参加人労働者らの受ける不利益に匹敵するほどの業務上の必要があったとはいえない」としている。

ウ しかし、本件転勤命令を発した昭和五七年三月の時点では、明らかに大村激減、小浜増加なのであって、しかも大村激減の理由は、道路公団の工事の終了が原因で、この傾向が長期化することは目に見えていたのである。本件転勤命令後についてみても、前年同期に比べ増加しているという昭和五七年四月から六月期さえも、同五五年三月から六月期と比較すると、その六六パーセントに過ぎないのである。

(2) 本件救済命令は、申立人らが受ける不利益について、認定又は判断しているが、以下に述べるとおり誤りがある。

ア 高比良の転勤により第一組合の受ける不利益

高比良は、労働金庫担当の業務をしているが、高比良の担当していた労働金庫関係の仕事としては、本件救済命令によれば、「組合員から毎月五〇〇円を集めて労働金庫に預金すること、ボーナス時に組合員を勧誘して預金を獲得すること、組合員から生活資金借入の希望があった場合の借入手続を行うこと、労働金庫の会議に出席すること、そのほか組合員に労働金庫の仕組みや業務内容を認識させ、その利用の促進を図ること」などであった。同人は、これらの業務を行うため、月に一回程度長崎市内の労働金庫に昼休み若しくは定時退社後に出向いていたというものであるから、組合とは別人格の長崎県労働金庫の下請的な仕事にすぎず、これをもって組合の業務ということはできない。

イ 福島の転勤により第一組合の受ける不利益

この点について本件救済命令は、何の認定もしていない。確かに福島は、第一組合大村支部の執行委員をしているが、同支部では組合員全部が執行委員だというのであって、執行委員として特別の組合業務に就いているとの主張も認定もない。結局、支部組合員全部を形式的に執行委員にしているに過ぎないのである。従って、福島の転勤により、組合に支障が生じるとの認定もされていないし、現実に支障もない。

ウ 転勤により高比良が受ける不利益

高比良は、父の病気を主張するが、高比良は原告に対し、その父の扶養手当の請求さえしておらず、同居の姉もいることであるから、父の病気の程度や扶養の必要性についての主張は誇張して述べているものというべく、受忍すべき程度を越えるものではない。

エ 転勤により福島が受ける不利益

福島は本件転勤命令により、通勤距離が五キロ、時間にして約五分長くかかるに過ぎない。残業時間が減少していることについては、工場毎に差があるのは当然であり、やむを得ないことである。

(二) 第一組合に対する原告の態度についての事実認定の誤り

本件救済命令は、「原告が、かねてから第一組合の活動に対して嫌悪の念を抱き、第一組合に対して疎外的態度をとっていたことが推認できる」としているが、この判断は証拠の評価を誤り、その結果事実誤認に陥っている。すなわち、

(1) 本件救済命令は、「昭和五二年一二月、高比良は、会社への入社時に若松卓彌業務部長(以下「若松部長」という。)及び岩岡洋一総務係長の面接を受けた際、若松部長から『組合は二つありますけど、一つはストをして会社のいうことを聞いてくれない非協力的な組合と、もう一方は、会社のいうことを聞いてくれる組合だから、よく考えて入るように』といわれた。この若松部長の説明は、第一組合、第二組合の性質に関して、それぞれの自主性若しくは民主性等の一般的説明の域を越えて第二組合を選定し加入するような暗示を与えるものであった」としている。

しかし、この事実認定及び評価は誤りである。なるほど、第一組合は、昭和五二年一〇月に分裂しているが、それは、第一組合の組合員の中に上部団体の指導に対する不信感が生じたためであり、原告が関与し又は原因となっているものではない。また、両組合とも、いわゆる同盟に加入していたのであって、組合の方針自体に差があるわけでもない。従って、そのような発言をする必要がある状況でもなかった。若松部長は、採用面接に際して、就職希望者に対する会社についての一般的説明の中で、会社の工場の位置や役割その他会社の現状などの概要を説明した際、会社には労働組合が二つあることを説明しているだけであって、本件救済命令で認定された各組合の性質等について説明をしたことはない。

(2) 本件救済命令は、「従来、労働基準法三六条に基づく協定(以下「三六協定」という。)は、第一組合と各工場長との間で締結されていたが、昭和五三年一二月の三六協定の改定時に当たって、会社は、第二組合と非組合員を併せた従業員の代表者との間で三六協定を締結した。ところが、島原工場においては、第一組合員が従業員の過半数を占めていたため、会社は、島原労働基準監督署より是正勧告を受けた。これは、会社が、三六協定改定時に、島原工場において、第一組合員が従業員の過半数を占めていることを知りながら、あえて第二組合及び非組合員の代表者と協定を締結した」としている。

しかし、原告は、昭和五二年一〇月に組合員が第一組合と第二組合に分裂するまでは、組合と社長(個々の工場の代表者ではない。)との間で各工場についていわゆる三六協定を締結していたので、分裂により、第一組合が全従業員の過半数を割り、第二組合員と非組合員の両者で全従業員の過半数を越えるに至ったことから、全従業員の過半数を代表する者と締結しなければならないものと考え(この証拠に、小長井工場における昭和四九年四月一日及び同年五月一日締結の協定並びに本社における同五三年一一月の協定のように第一組合が過半数を占めていないにもかかわらず、第一組合と締結している。)、その代表者と協約を締結したものである。これに対し、島原労働基準監督署から、「個々の工場毎に、そこで働く従業員の過半数を代表する者と締結すべきである」として是正勧告を受けたものであり、この是正勧告は、労働基準法三六条の解釈の違いからきたものであって、これをもって、本件救済命令のように「会社が、かねて第一組合の活動に対して嫌悪の念を抱」いていた根拠とみることは誤りである。

なお、原告は、昭和五三年一二月の協定締結について、会社全体で過半数を割っている組合と三六協定を締結しても、その効力がないと考えていたし、反面この協定なしには時間外労働をさせることができないため、経営上差し支えるとの判断から急遽第二組合らと締結したものである。

(3) 本件救済命令は、「会社は、昭和五三年一二月の年末一時金争議中のストライキ時まで、第一組合についてチェックオフ(組合員の給与天引)を行っていた。このストライキ通告の際、彌吉博次常務取締役(以下「彌吉常務」という。)が当時第一組合の執行委員長であった大山秀義に対し、スト権確立の際の賛成者及び反対者の数を尋ねたところ、大山から『何のために聞くのか』との反問があり、それに対して彌吉常務が『労務政策その他を考える参考上教えていただければ幸いだ』と釈明した。大山が『答える義務がないのなら答えない』旨釈明したところ、彌吉常務は、『それならチェックオフも義務がないのでやめさせてもらう』と発言し、この時以降、第二組合を含めチェックオフを一方的に廃止した」としている。

しかし、チェックオフ廃止が第一組合だけでなく、第二組合に対しても行われていたのであるから、このことをもって、原告が第一組合に敵意を有していた根拠とすることはできないというべきである。

(4) 本件救済命令は、「第一組合が昭和五三年一二月二五日、同年末一時金の支給及びチェックオフに関し、会社が同組合と第二組合とを差別する方針を示したことを理由として、当委員会に不当労働行為救済命令申立をした」としている。

しかし、本件救済命令がここに認定した事実は単に不当労働行為の申立をしたという事実のみである。この申立の事実の有無を確定しないまま、原告が第一組合に対して敵意を抱いていたと評価することはできないというべきである。

(5) 本件救済命令は、「昭和五二年一〇月一七日の組合分裂後、特に組合活動の本拠である本社工場において第一組合員が大幅に減少して、その組合活動が衰退した」としている。

しかし、右事実認定自体は正しいが、これだけの事実で原告が、かねて第一組合を嫌悪していた根拠となるわけではない。組合を分裂させ、衰退に導いたのが原告であれば、まさに不当労働行為であるが、本件救済命令にはそのような事実認定はない。むしろ、もともと第一組合の分裂は、組合の内部紛争の結果であって、また組合員の減少も同様の原因によるものであり、組合分裂及び減少の原因が原告にあるわけではない。

(6) 本件救済命令は、「第一組合を脱退した六名の中に赤松一男がいたが、同人から組合脱退届が出される直前、同人の妻から、当時の第一組合執行委員長本田喜久美に対し、『この組合にいたらクビになるかもわからないから、辞めさせたい』旨の電話があった。なお、赤松は、昭和五七年二月に第一組合に復帰した」としている。

しかし、本件命令は、この組合にいたらクビになるかもしれないという客観的状況が存在し、かつその状況が会社の責任によるものであるなどの事情を認定することなく、単に、従業員の妻から電話があったというだけの事実から原告が第一組合を嫌悪していたと評価しているのであって、この評価は誤りである。

(7) 本件救済命令は、「高比良は、昭和五五年八月六日、会社構内で、元第一組合執行委員長で当時非組合員であった大山秀義から暴行を受け、大山は罰金二万円の刑に処せられたが、これは、会社内の従業員間の融和、秩序維持の観点から看過できない所為であるのに、会社がこれを傍観して事情聴取もせず、また、大山に対して何らの指導若しくは就業規則に基づく懲戒措置も行っていない」としている。

しかし、原告は、大山に対して注意はしたが、大山の弁解する事実と高比良の主張事実に食い違いがあり、過去にも運転手同志の暴力事件があったが、これについて就業規則に基づく懲戒処分をしたことはなかったために、この前例に従い懲戒しなかったにすぎない。

(8) 本件救済命令は、「昭和五四年一二月の忘年会の席上、大村工場の主任(非組合員)が『新労組(第三組合)万歳』と叫んだことから、第一組合は、会社が組合の切り崩しをするのではないかと危ぶみ、通常、各支部の役員は、支部長、書記、会計の三名であるところを、大村支部については、全員を執行委員とすることとし、同五五年の第一組合定期大会に提案承認されたが、この『新労組万歳』と叫んだ一件は、単なる個人的感情に基づくものとは思われない」としている。

しかし、この事実認定は誤りであるのみならず、仮にこれが事実だとしても、本件は時間外に行われた新労組員(第三組合員)の送別会においてなされたものであること、工場長らの会社側とみなされる者が出席していたとはいえ恒例の忘年会であっていつも出席していること、大村支部での組合分裂(第一組合から第三組合が分裂)は昭和五四年三月であり、この忘年会はその年の一二月であるが、当時、大村はもちろん会社全体においても会社と第一組合との間に別に問題は起きていないこと、万歳をした者は会社側とはいえ主任に過ぎず、送別会が新労組員が退職するものであって、参加者のほとんどが新労組員であったため、そのような万歳をしたことが窺えるのであって、これをもって、原告の第一組合に対する嫌悪の根拠となるものではない。

(三) バックペイを命じたことについての法律適用についての誤り

(1) 被告は、高比良につき、中間収入等を控除せず、かつ、年五分の割合の金員を付加してバックペイを命じている。しかし、高比良が得ている収入について、被告は、単に市内のタクシー会社でアルバイトをして生計を維持していると認定するだけであり、その収入の程度や当該アルバイトの就業状態を認定していないし、その証拠もない。

(2) 労働委員会が、不当労働行為により解雇された労働者の救済命令において、賃金相当額の遡及払を命ずる場合とその労働者が解雇期間中他の職に就いて得た収入額の控除の問題については、最高裁昭和五二年二月二三日判決民集三一巻一号九三頁(以下「昭和五二年の最高裁判例」という。)がある。これによると、「バックペイを命じる場合、その労働者が他に勤務して得た収入を控除しないで全部の支払を命じることは、個人的な経済的被害の救済の観点からする限りは救済の範囲を逸脱するが、当該解雇が当該事業所における組合活動一般に対して与える侵害の面を考慮し、その除去という観点から中間収入控除の要否及びその金額を決定するにあたっては、組合活動一般について生じた侵害の程度に応じ、合理的に必要かつ適切と認められる救済措置を定めなければならない。」としている。

(3) 本件救済命令は、高比良が転勤命令前に得ていた賃金及びアルバイト(この意味は必ずしも明確なものではなく、高比良本人が「アルバイト」と陳述しているものをそのまま採用したものである。)による収入を全く認定していない。したがって、本件救済命令の事実認定上からは、昭和五二年の最高裁判決にいう「個人的な経済的被害」があるのか否か不明のままであるところ、このように、中間収入がある場合、得べかりし賃金と中間収入がそれぞれ概略であっても認定出来ていない以上、漠然と中間収入を控除しないでバックペイを命じることは、違法である。

(4) のみならず、高比良は本件転勤命令前から有限会社愛宕タクシーに勤務し、右転勤命令を拒否しても勤務を続けており、それにより得た収入は、転勤命令拒否後の四月から一二月までを見ても、合計二二八万六六五〇円(月平均二五万四〇七二円)に昇り、本来の勤務で得たはずの右同期間の賃金(含賞与)を上回っていること、会社の種類は違っているけれども同じ運転手であること、解雇の場合と違って本件は転勤命令を拒否した結果であって、いわば自らすすんで収入を得られない道を選んだ結果であること、などを考慮するときは、本件救済命令は裁量権行使の合理的限界を越えているというべきであって、かかる場合は、バックペイを命じるとしても、同社より得た賃金を中間収入としてこれを控除すべきである。

(5) 次に、本件救済命令は、組合活動一般に対して与える侵害として、「高比良の組合活動上の役割、すなわち高比良の労働金庫関係の仕事があり、これらの業務を行うために、月に一回程度、長崎市内の労働金庫に昼休み若しくは定時退社後に出向いていたのを侵害した」という。

しかし、このような労働金庫関係の仕事がいわゆる「組合活動」といえるかが疑問であり、仮に組合活動であってもこれらの業務を行うために月に一回程度、長崎市内の労働金庫に昼休み若しくは定時退社後に出向くことは、高比良がアルバイト中でもできるはずであり、この点において組合活動に支障があったということはできない。

3  よって、本件救済命令の取消を求める。

二  請求原因に対する被告の認否及び反論

1  請求原因1の事実は認める。

同2、3は争う。

2  原告の主張に対する反論

(一) 本件転勤による組合及び労働者の受ける不利益と転勤の必要性

(1) 転勤の必要性について

原告は、「本件転勤命令を発した昭和五七年三月の時点では明らかに大村激減小浜増加なのであって、しかも大村激減の理由は道路公団の工事の終了が原因なのであるから、この傾向が固定化し長期化することは目にみえていた」と主張する。

原告の主張は、昭和五五年七月から九月期の数字を一〇〇として、これを基準に各工場の出荷量を指数で示してあれこれ論じているが、前年同期のそれと比較してみると、出荷量の動きは本件救済命令の認定事実のとおりとなる。すなわち、大村工場においては、昭和五六年七月から九月期の五九・四、同年一〇月から一二月期には七四・〇と上向きになり、同五七年一月から三月期には六六・九と下降していたものの、同年四月から六月期には一〇九・七と前年同期を上回っている。他方小浜工場においては、昭和五六年七月から九月期には一一一・二、同年一〇月から一二月期には一一四・四といずれも基準値を上回っているものの、同五七年一月から三月期には一〇七・〇、同年四月から六月期には八四・三と漸減しているのである。しかも、原告の挙げた数字でみても昭和五七年四月から六月期には、大村工場を除く各工場は皆同年一月から三月の実績の五、六割にとどまる大幅な減少であるのに対し、大村工場は一割方増加している。

右出荷数量の動きから大村激減、小浜増加の傾向が固定長期化するなど到底読み取ることはできないのであって、要するに原告の主張には、自己の立場が有利になるような基準を設定して、本件転勤命令の業務上の必要性を誇張し、自己の組合に対する団結権の侵害、労働者に対する不利益取扱を正当化する意図が存在している。

(2) 第一組合の受ける不利益について

高比良の労働金庫関係の業務が、第一組合の意思に基づく不可欠な日常的組織活動にあたることは明らかである。また、第一組合の本拠ともいえる本社工場においては、昭和五二年一〇月一七日の組合分裂後第一組合員が大幅に減少し、同五六年からは高比良一人になっていただけに、第一組合の組織運営上、本社工場に高比良一人でも勤務することは、重要な意味を持っていたし、他方、原告にとっては、まさに目の上のたんこぶと意識したであろう。

(3) 高比良の受ける不利益について

原告は、「会社に対し、父の扶養手当の請求さえしていないことなどから、高比良の父の病気の程度や扶養の必要性についての主張には誇張があり受忍の限度を超えるものではない」と主張している。

なるほど高比良は原告に対し、父の扶養手当を請求していないが、それは、高島炭鉱に勤めている長兄が父の扶養手当を受給しているという理由によるもので、事実上、病気の父と同居して介護にあたっているのは、高比良と姉の恵子であり、その姉も生計を立てるため働いていて、常時父に付き添って看護したり身辺の世話をすることはできない。原告の主張は高比良にとって酷に過ぎる。

(4) 福島の受ける不利益について

原告は、「福島の転勤によって被る不利益はやむをえないことである」と主張している。

しかし、福島にとっては、通勤自動車の燃料代が月平均約六千円の負担増となり、残業時間が減ったことによって、月平均二万円の減収となったことなど、働く者の生計維持のうえで軽視できない不利益があるというべきである。原告の主張は、自己の金銭感覚でそれを無視しようとしているものであって、誤りである。

(二) バックペイについて

(1) 昭和五二年の最高裁判例は、「労働委員会は労組法七条一号に違反する解雇の救済にあたっては<1>個人的被害の救済と他方<2>組合活動一般に対する侵害の救済という二元的なとらえ方をして命令の内容を決定すべきだ」と説示しているが、さらに、「具体的に問題となっている中間収入控除の要否及びその程度を決定するにあたっては、労働委員会は右両面からする総合的な考慮を必要とし、解雇と中間収入の獲得との間に因果関係があるからといって中間収入の全額について経済的不利益の回復があったものとみるべきでなく、労務の性質及び内容、そして組合活動一般に対する侵害の除去という総合的な考慮を必要とする」としている。

(2) 以下右判例に従って、本件命令のバックペイの当否を判断するうえで、勘案すべき事実について検討する。

ア アルバイト先の労務の性質及び内容について

本件転勤命令後に、高比良が従事していたアルバイト先の仕事は、本来の仕事と同じ運転手であるとはいっても、その労務の性質及び内容は全く異なっていた。労働時間数が長いことはいうに及ばず、労働時間帯も深夜に及ぶことを常態としていた。また、運搬の対象も異なるし賃金も歩合給の占める割合が大きく不安定で、同人にとっては、従前とは比較にならない程過酷なもので、肉体的にも堪え難い負担を強いられていたといってよい。

イ 本件転勤命令によって、高比良の受ける打撃

高比良に対する本件転勤命令が、原告の従前の人事慣行からみて異例のものであったこと、同人の家族の事情すなわち病弱な父親の面倒をみるため長崎市内から離れ難い事情にあったこと、転勤命令後本社工場での就労を拒否されたこと、等の状況から考えると、同人が本件転勤命令によって事実上の辞職を余儀なくさせられたものと評価すべきであって、むしろ、同人が受ける打撃の大きさは、精神的な打撃を含めて、解雇された場合と同様またはそれ以上のものがあったといえる。

ウ 組合活動への影響

a 本件転勤命令及びそれにかかわる争訟によって、第一組合の組合員の不安感が増大し、組合役員となることを希望する者が極端に少なくなり、組合役員の選出に苦慮していること、一部組合員が第一組合に対し無力感を抱き始めているなど組合活動が消極化していることが認められ、本件転勤命令の組合活動に対する制約的効果は決して少なくなかった。

b 本件転勤命令に係わる争訟に多額の費用の負担を余儀なくされ、第一組合は財政的に窮乏し、心ならずも組合活動を一部差し控えている状態にある。

c また、本社工場勤務の高比良が不在のため、労働金庫活動を要とする組織活動が阻害化され弱体化している。

(3) 以上の点からみて、本件救済命令のうちバックペイの部分は、裁量権行使の合理的限界を越えるという原告の主張は失当というべきである。

(三) 以上のとおりで、本件救済命令には、原告の主張する違法は存在しない。

三  参加人らの主張

1  原告の事実誤認の主張に対する反論

(一) 本件転勤命令の業務上の必要性についての反論

原告は、業務上の必要性についての判断とした工場別出荷実績の読みかたについて、昭和五七年一月から三月期の実績は前年同期に比し、小浜工場だけが増加しており、一方大村工場は減少している事実を指摘し、本件救済命令の判断を非難している。しかしながら、この主張は、以下の理由により不当である。

(1) そもそも、一工場の労働力の過不足を検討する場合、出荷量を考慮すること自体は不当でないが、出荷量だけで結論を出すのは十分でない。必要労働力は、車の積載量や運搬距離によってもかなり差異を生ずるものであるから、このような要素についての比較検討を加味するのでなければ、真に実態に即した必要労働力の正確な判断はできないはずである。例えば、大型車の台数が多ければ、同一の出荷量であっても労働力は少なくてすむのであり、また、運搬現場の距離が長ければ、同一運搬であっても多くの労働力が必要となる。このような要素の比較検討を加味することなく、単純に各工場の出荷量を比較しただけで、大村工場は労働力が過剰であり、小浜工場は労働力が不足していると断定して本件転勤命令を行ったとする原告の主張は説得力を欠いている。

(2) 仮に、昭和五七年一月から三月期は、前年同期に比べて、大村工場においては労働力過剰、小浜工場においては労働力不足の状態が存続したとしても、たまたまその時期がそうであったに過ぎないのであって、同年四月から六月期の出荷量は、大村工場は、前年度比一〇九・七パーセントであり、小浜工場は、同八四・七パーセントと逆転しているのであり、出荷量に限っても、大村工場は減少傾向が、小浜工場は増加傾向が定着しているとは到底いえない。

(3) 大村工場の出荷量の減少傾向について、原告は道路公団の工事の終了により、この傾向が固定化し、長期化すると断じているが、公団の工事の終了により大村工場の出荷量が一時的に減少したことは否定できないかもしれないが、大村工場の出荷がもっぱら公団の工事に依存していたわけでもなく、公団発注の減少分を別の販路の開拓によってカバーすることは不可能ないし極めて困難というような事情は存在しなかった。

(4) 本件救済命令は、原告が提出した資料に基づいて、各工場の出荷量の増減傾向を比較検討した結果、小浜工場の繁忙、大村工場の閑散の傾向が長期化ないし恒常化するとは即断できないとしているのであって、右判断は正当である。

(二) 第一組合に対する原告の態度についての反論

(1) 請求原因2の(二)(1)について

原告は、本件救済命令が高比良の入社時における若松業務部長の言動に関し高比良の証言を採用したことについて非難している。しかし、不当労働行為審査の根本原則は、簡易迅速な手続による速やかな権利救済にあり、その立証の程度は、民事訴訟のごとき厳格な証明による高度の確信を得せしめるまでの必要はなく、一応の不当労働行為事実の存在を肯認しうる程度の疎明で足りるとするのが労働法学会の通説であり、本件救済命令の事実について違法・不当の点はない。

(2) 同2の(二)(2)について

本件救済命令中の「従来三六協定は第一組合と各工場長との間で締結されていた」との認定は誤りで、この点については、原告の主張するように分裂前には組合委員長と社長との間で、各工場ごとに三六協定を締結していた。その時点においては、各工場とも組合員が全従業員の過半数を占めていたから特に問題を生じなかったのであるが、組合の分裂により企業全体としては第一組合員が全従業員の過半数を割ることになったために問題が生じたわけである。

複数の事業場がある場合において、企業単位で労働組合が結成され、事業場ごとにそれぞれ支部がある場合、三六協定は組合本部と結ぶべきか、組合支部と結ぶべきかについては学説が分かれている。すなわち、組合支部に締結権限が与えられている場合は問題はないが、第一組合のごとく支部の協約締結権が規約上明示されていない場合、締結当事者を誰にするかは確かに明確な法解釈が確立されているわけではない。

しかし、三六協定は事業場ごとに締結しなければならないことは法に明確に規定されており、分裂前にもそのように行われていたのであったが、原告は、組合分裂により、第一組合に所属する従業員の数が全従業員の過半数を割るに至るや、企業全体として第二組合と非組合員とを併せた従業員の代表者と三六協定を締結し、これを各工場に適用したのである。これは、明らかな法違反である。当時、島原工場においては、第一組合員が全従業員の過半数を占めていたのであるから、原告は、当然第一組合と三六協定を締結しなければならなかったのである。この場合、締結当事者は、組合本部長がなるか支部執行委員長がなるかは組合の意思によって決めるべきことである。

(3) 同2(二)(3)について

原告は、「この時以降第二組合を含め、チェックオフを一方的に廃止した」と主張するが、これは正確でなく、当初、原告は、第一組合のみチェックオフを廃止したので、第一組合が不当労働行為であるとして厳しく抗議し、被告に救済申立をしたところ、原告は仕方なく第二組合についてもチェックオフを廃止したのが事実である。

(4) 同2(二)(4)について

本件前に第一組合に対する差別扱いを理由とする不当労働行為の申立を受けたこと自体を間接事情として、本件における不当労働行為の意思の存在を推認することは、何ら違法でも不当でもない。

(5) 同2(二)(5)について

本件救済命令の判断は、高比良が所属していた本社支部が組合分裂により、本件転勤命令前の昭和五六年には高比良一人となったほど第一組合が衰退している状況において、高比良を小浜工場に転勤させることによって第一組合が大きな打撃を被ることは明らかであるのに、あえて原告が高比良を転勤させた事実を原告の不当労働行為意思を推認する間接事情の一つとしたものであって、右判断は正当である。

(6) 同2(二)(6)について

本件救済命令は、第一組合の家族の中に「第一組合に所属していると会社から嫌われてクビになるかもわからない」と真剣に危惧している者のいる事実を認定して、この事実が単なる杞憂ではなく、原告がかねて第一組合に対して嫌悪の念を抱き、疎外的態度をとっていたことの反映であったとの認定に基づくものであって、右判断は正当である。

(7) 同2(二)(7)について

本件救済命令は、非組合員大山が第一組合高比良に加えた暴力行為が刑事裁判で有罪判決が確定したという事実の上に立って、原告としては、当然このことについて事情聴取をし、指導若しくは懲戒などの処置をとるべきであるのに何らの処置をとらず、黙殺した事実を指摘して原告の第一組合に対する差別意思を認定したものであって、右の判断は正当である。

原告は、大山の弁解と高比良の主張に食い違いがあったためと弁解するが、刑事裁判によって確定している事実について加害者と被害者の主張の食い違いを問題にする余地はない。また、過去において暴力事件を起こした従業員を「退職」の形で事実上辞めさせた例はいくつかある。

(8) 同2(二)(8)について

これは、事実認定に対する非難であるが、この点については前述(1)のとおりである。

2  バックペイについて

(一) 第一組合が被った不利益

(1) 本件転勤命令によって第一組合が被った不利益は、単に高比良及び福島ら組合員個人の転勤によって組合が直接的、間接的に被った不利益にとどまらず、高峰を含む三名の第一組合員に対するいずれも各人の意に反する転勤命令がなされたことによる全従業員への影響こそが第一に指摘されなければならない。

ア 第一組合は、昭和四二年に結成されたが、本件救済命令も認定しているとおり、昭和五二年度の賃金交渉中の同年一〇月一七日に、組合員約三〇名が脱退して、第二組合たる長崎生コン従業員労働組合が結成され、さらに昭和五四年二月には大村工場において、市議会議員候補者の推薦問題を契機に第一組合員一四名が脱退して第三組合が結成され、組合は三つに分裂した。このため組合の団結力は著しく弱体化し、現在組合は原告と対等に交渉のできる状態にない。そこで第一組合としては、三組合の組織統一をめざし、ここ数年間このための努力を続けており、昭和五七年ころからは三組合の上部団体である長崎県同盟もこの問題に積極的に取り組み、本件転勤命令直前には、急速に組織統一の気運が高まっていた。このような矢先第一組合は、本社支部の唯一の活動家であり、将来組合の幹部としても期待されていた高比良を始め、第一組合員三名が意に反する転勤命令を受けたのである。

イ 第一組合は、これを組織に対する攻撃として受け止め、直ちに不当転勤撤回の闘いに立ち上がった。以来、労働委員会の九回にわたる審問には、そのたびに五名ないし一〇名の組合員が当事者あるいは傍聴人として参加した。この間、第二、第三組合も本件転勤問題には多大の関心を持ち、その帰趨を見守っている状態である。このため、組織統一の問題は、一時棚上げとなってしまった。そして組合員の不安動揺は覆い難く、昭和五七年、同五八年の定期総会では役員のなり手がなく、容易にその選任ができず、総会の大部分が役員選任のために費やされた。結局、各支部から役員選考委員を選出して協議を重ね、ようやく三役が選任されるという状況であった。

(2) 第一組合は、本件不当労働行為事件の審理を遂行するために莫大な財政的負担を余儀なくされており、このことは、組織の運営上大きな障害となっている。組合財政は、組合活動上のエネルギー源であることはいうまでもなく、このように重い財政負担は、必然的に組合の組織力、活動力にも大きく不利益に作用している。

(3) 第一組合は、各工場に支部を置いており、創立以来本社支部(小ケ倉支部)を本部とし、組合三役は本社支部から選出してきた。しかしながら、組合分裂以後本社支部の組合員数が極端に減少したため、本社支部から組合三役を選出することができなくなり、やむをえず昭和五五年度の総会において、委員長、書記長を大村支部より、副委員長を島原支部より選出して、本部も大村支部に移した。このような組織体制では、原告との団体交渉において不便であるだけでなく、組合組織自体に大きなマイナスであるので、第一組合としては、できるだけ速やかに組織統一を実現して本社支部を強化し、従来どおり本社支部から三役を選出し、組合本部を小ケ倉工場に置いて、組合の活動力を強化したいと念願しており、その方向で努力を重ねているのである。

本社支部の現状については、本件救済命令も認定しているとおり、本件転勤命令においては、高比良と赤松の二人だけであった。そのうち赤松は、一度は第一組合を脱退したこともあり、復帰後は組合活動をほとんどしていない組合員である。一方、高比良は、経歴は浅いが、組合活動に熱心で、執行委員の経験もあり、特に本社支部が二名だけとなってからは、文字どおり支部の支柱的存在として組織強化のために尽力していた。このような組合員を本社工場から他工場へ転勤させられては、本社支部は、事実上潰滅に等しい状況に立ち至るであろうことは火を見るよりも明らかであった。

もっとも、今回の転勤により、第一組合員である高峰征一郎が小江原工場から本社工場に配転されたが、高峰は、執行委員の経験もなく、かつ、高血圧症のため転勤と同時に運搬係から配車係に配置換されたという実績もあり、到底高比良の代わりとして本社支部を支えていくだけの力量はない。赤松は、第一組合書記長の経験もあり、高比良が転勤されてからは執行委員に選任されているが、原告との団体交渉には一度も参加したことがない。このようにして本社支部は、組織としての活動をほとんど失ってしまっている実情にある。

なお、労働金庫の役割は、労働者にとって近年ますます重要性を増している。高比良は、労働金庫担当として、熱心に組合員に貯蓄を奨励し、福利厚生活動を行っていた。しかしながら、高比良が本件転勤命令を受けたため、現在は労働組合金庫担当者がいなくなって、その関係の仕事はほとんどなされておらず、ただ月に一回本部に集まった闘争資金を金庫に預け入れるだけとなっている。このような福利厚生活動の低下による組織団結上の影響は短期間に目にみえて現れる性質のものではないので、組織にどのような影響があったかは判明し難いが、長期間このような状態が続くならば、第一組合の組織力や活動力にも大きなマイナスとなる。

(二) 高比良が受けた不利益

高比良は、就労することの極めて困難な転勤命令を受けたので、原告に対して従来どおり本社工場で勤務させるよう要求したが拒否された。このため結局就労できず、従って賃金の支払も受けられなくなったために、やむをえず昭和五七年四月以降有限会社愛宕タクシーで臨時雇いの運転手として働き収入を得ている。高比良は、何時原職に復帰しなければならなくなるかもしれない身分である事情を愛宕タクシーに説明し、臨時雇いという条件で就労した。もともとタクシー運転手の労働は、現在高比良が雇用されている原告のごとき昼間だけの業務に従事する労働とは勤務時間帯その他の労働条件が著しく異なっているうえ、臨時雇いという雇用形態で勤務せざるを得なかったことから、高比良は、次に述べるような労働条件を受忍せざるをえなかった。

(1) 臨時雇い運転手の労働時間は、午前八時から翌日の午前八時までの二四時間勤務で、勤務終了時から翌日の午前八時までは非番、午前八時から次の労働日が始まるという隔日勤務である。常雇い運転手の場合は、午前八時から翌日の午前二時までとなっており、勤務時間が常雇いの運転手と比較してかなり長い。

(2) 勤務終了後は自宅に帰り、普通午前一〇時ころから午後二時か三時ころまで睡眠をとり、その翌日の出勤時刻までは自由時間であるが、夜間帯が長いため、自由に行動できる時間は夕食前後の数時間にかぎられることになる。

(3) 勤務は年中無休で、日曜・祭日はなく、有給休暇もない。日々雇用であるから、欠勤は自由といっても、休みが多いと直ちに雇い止めになるので、事実上休むことはできない。

(4) 日曜・祭日に勤務しても割増金はつかない(常雇い運転手は、割増金がつく。)。

(5) 賃金は、全額歩合給で、歩合は、売上が一日二万七〇〇〇円以下の場合四割、二万七〇〇〇円を越えて三万円まで四・二割、三万円を越えた場合は四・五割で賞与は全くない。常雇い運転手は、基本給と歩合給の二本建で、歩合は一律四・八割である。賞与は、夏・冬各二〇万円が支払われている。高比良は、生活を維持するために一定の収入を得なければならず、そのためあまり休むわけにはいかないので、昭和五七年四月以降毎月平均一二ないし一三日勤務した。その結果高比良の年間収入総額は従来とほぼ同額程度になったが、これだけの年収を得るために服した労働は、以上見たように従来のそれと比較して質的に量的にも相当過酷なものであった。

(三) 福島が受けた不利益

本件転勤命令によって福島が受けた不利益は、本件救済命令が認定したとおりであり、それ自体はもとより受忍できない程度とはいえないことはあえて否定しない。しかしながら、たとえ福島の受ける不利益が受忍可能の程度のものであっても、そのことゆえに本人が転勤を望まなかったことが重要なのである。原告は、創立以来運転手を採用した場合は、募集した工場を勤務地とするのを原則としており、工場の廃止、新設など特別の事情を生じた場合に本人の了承のもとに転勤させることがあったほか、本人の個人的事情によって他工場への転勤を本人が希望し、原告をその転勤を認めた場合に限って転勤が行われたにすぎない。本件のように一工場の仕事量が増加したとの理由で本人の希望に反する転勤を命じた例は全くなかったのである。しかも、原告のいう「小浜工場の出荷量の増加」なる事情も後述のごとくその根拠が乏しく、従来の人事方針ないし慣行を変更してまでも転勤を強行しなければならないほどの特別の事情などは存在しなかったのである。本件命令は福島が受ける不利益をこのような諸事情とともに総合的に判断したもので、このような判断は全く正当といわなければならない。

第三証拠関係

本件記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  第一組合、高比良及び福島が被告に対し、原告を被申立人とする不当労働行為救済命令申立〔長崎地労委昭和五七年(不)第一号不当労働行為救済命令申立事件〕をしたところ、被告は、本件救済命令を昭和五八年七月九日付でなし、同命令を同月二一日原告に交付したことは、当事者間に争いがない。

弁論の全趣旨を総合すれば、原告は、昭和五七年三月一五日付で、参加人高比良及び同福島に対し、小浜工場に転勤するよう命じたこと(本件転勤命令)が認められ、これに反する証拠はない。

二  不当労働行為の成否について

本件救済命令は、原告の本件転勤命令を不当労働行為であると判断し、原告は、これを争っているので以下検討する。

1  本件転勤命令の必要性について

(証拠略)、参加人高比良恵司本人尋問の結果、調査嘱託の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認られる。すなわち、

(一)  本件関係者

原告は、昭和三八年七月三〇日に設立され、肩書地に本社及び工場を有するほか、同市小江原町、大村市、南高来郡深江町(島原市近効)、北高来郡小長井町、南高来郡小浜町に小江原、大村、島原、小長井、小浜の各工場(以下「○○工場」という。)を有し、生コンクリートの製造及び販売を業として営んでいる株式会社であり、従業員数(取締役、アルバイト及び出向者を除く。)は、昭和五七年三月九日時点(本件転勤命令の六日前)で総数一九五名であり、その勤務場所は、本社及び小ケ倉工場(以下「本社工場」ともいう。)が五八名(運転手二二名)、小江原工場が二三名(運転手一二名)、大村工場四〇名(運転手二〇名)、島原工場が三三名(運転手一五名)、小浜工場が二二名(運転手九名)、小長井工場が一九名(運転手九名)であった。

原告には、参加人組合である長崎生コンクリート労働組合(第一組合)が存在していた(組合員数約一二〇名)が、昭和五二年一〇月に分裂して長崎生コン従業員組合(第二組合)が生まれ(同約三〇名)、さらに昭和五四年二月大村工場で第一組合が分裂して、長崎生コンクリート新労働組合(第三組合)が生まれ(同約一四名)、いずれも長崎地方一般労働組合同盟の傘下に入っている。昭和五七年三月九日時点の各組合員数は、第一組合が五一名、第二組合が三六名、第三組合が一七名となっていた。そして第一組合員(計五一名)の勤務場所は、本社工場二名、小江原工場五名、大村工場一一名、島原工場一二名、小浜工場一四名、小長井工場七名となっていた。

<省略>

参加人高比良は、昭和五二年一二月一九日に原告に運転手として採用され、本社工場で運転業務に従事し、昭和五三年三月一九日第一組合に加入して以来、昭和五六年までの間に、会計監査、書記長、会計、執行委員を歴任し、昭和五五年四月から労働金庫担当組合員として役割を果していた。また参加人福島は、昭和四二年一一月六日に原告に運転手として採用され、大村工場で運転業務に従事し、昭和四三年三月ごろ第一組合に加入し、後記2(五)認定の事情から昭和五五年四月以降執行委員となっていた。

(二)  原告側の本件転勤命令に至る事情

(1) 昭和五六年ころ、原告の出荷量は、生コンクリートを必要とする建築業界などの業績の全般的な低迷のために全社的に漸減傾向にあり、かつ、各工場間の出荷量の増減に相違があった。すなわち、本社工場、大村工場及び小浜工場の昭和五六年七月から同五七年九月までの各工場別の出荷数量の対前年同期を一〇〇として四半期ごとに比較すると、次のようになる。

このように、本社及び大村工場においては全体として出荷量が減少傾向にあるのに対し、小浜工場においては全体として出荷量が現状維持ないしは増加傾向にあることが窺える。

(2) 原告は、昭和五七年二月五日、労使懇話会の席上、三つの組合に対し、「全社的な出荷の低下があり、特に大村工場の減少が大きいこと、経済情勢からこの状況が長期化することが予想されること、今後の対応策として関係会社への出向・人事異動を含めて経営の合理化を図ること」を内容とする説明を行い、同年三月六日に、同月一五日付で次のとおりの転勤を実施することを決定した。

ア 高峰征一郎(第一組合員)

小江原工場から本社工場へ

イ 高比良恵司(同)

本社工場から小浜工場へ

ウ 福島強(同)

大村工場から小浜工場へ

エ 永尾浩一(第三組合員)

大村工場から小長井工場へ

原告は、右転勤の理由について、「本社、小江原及び大村の三工場は、他の工場に比べ出荷量の落ち込みが大きいため、仕事が閑散化していた反面、小浜工場は出荷量の増加ないし現状維持により比較的繁忙化していたため、運転手一人当たりの出荷量を考慮し、長崎市内の工場(本社・小江原)から一名、大村工場から一名の合計二名を小浜工場に転出させ、さらに、大村工場の閑散化対策として、同工場から一名を小長井工場へ転出させることにした」と説明している。

(3) 本件転勤者の人選理由

原告は本件転勤命令の人選は次の理由によるものとしている。

ア 高峰征一郎について

高峰は、小江原工場の運転手であったが、高血圧のため運転業務に堪え難いので、昭和五七年二月末日退職した内野永幸の後任として、本社工場の誘導係に配属する。

イ 高比良恵司について

高比良は、本社工場に所属する運転手のうちで独身であり、生コンクリート・ミキサー小型車の運転をしている。小浜工場は小型車が必要である。本社工場には、他に独身の運転手として浜崎信太郎がいたが、同人は生コンクリート・ミキサー大型車の運転をしている。さらに、小浜工場の従業員は、第一組合員と非組合員のみであるところから、第二組合員の浜崎よりも第一組合員である高比良を転勤させれば、小浜工場内の人間関係にも問題が生じない。

ウ 福島強について

福島は、大村工場勤務の運転手のうち、小浜工場に近い諫早市黒崎町に居住し、小浜に通勤することができるところ、大村工場の運転手の中には福島と同じ地域から通勤している真崎定幸がいるが、同人は、兼業農家であるため、農繁期等に会社を休むことが多いのに対し、福島は、出勤率が高く、多忙な小浜工場勤務に適していると考えられる。さらに、真崎が第三組合に所属しているのに対し、福島は、第一組合に所属しているので、高比良の場合と同様の理由で、良好な人間関係が保たれる。

エ 永尾浩一について

永尾は、結婚後、北高来郡高来町小江に転居していたため、本人が自宅から近い小長井工場への転勤を希望している。

(4) 原告は、昭和五七年三月一〇日、大村工場長を通じて福島に対し、また、同月一一日、本社工業長を通じて高比良に対し、それぞれ本件転勤命令の辞令を交付した。これに対して、両名とも強い難色を示し、第一組合も内部で協議のうえ、原告に抗議したが、本件転勤命令は撤回されなかった。その結果、福島は、同月二二日父親の病気療養のために治療費を必要とすることなどから、転勤命令に従って小浜工場に出勤することとなり、他方、高比良は、後記の家庭の事情から転勤は不可能であることを理由に長崎市内の愛宕タクシーに臨時雇いのタクシー運転手として勤務することになった(なお、本件救済命令により原職に復帰している。)。

(三)  参加人側の事情

(1) 高比良は、かつて兵庫県内で働いていたが、かねて病弱であった身体障害等級四級の父親の病状が悪化したので、看護と扶養のために一緒に住む必要から長崎市愛宕の実家に帰り、昭和五二年一二月に原告に入社したものである。同人の父親は、以前鉱山事故により片足に障害があり、また、二か月に一回程度の割合で原因不明の高熱が約二週間続き、その間は、用便も足せない状態になり、高比良が病院に連れていくなどその介護に当たっており、現在でも入通院を繰り返している。高比良は、現在、父親及び次姉と同居しているが、次姉は、長崎市内の石材店に勤務している。また、高比良の兄は、その家族とともに西彼杵郡高島町に居住しているし、高比良の長姉は、結婚して西彼杵郡時津町に居住している。なお、高比良が、小浜工場に転勤した場合、片道だけで二時間以上の時間を要するから、右父親との同居は極めて困難になる。

(2) 福島には、妻と子供三人及び父親の五人の家族がおり、父親は、病身で、諫早市内の病院に入通院を繰り返す状態のため、治療費がかさみ、家計を圧迫していた。また、自宅と大村工場の間にある病院に福島が通勤の途中に立ち寄って、入院中の父親を見舞い着替えなどを届けていた。

以上の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

以上の認定事実から判断すると、原告には、転勤を命ずる必要性も認められないではないが、反面、前記の証拠によると、各工場の出荷量の増減については、原告は従前も、本件転勤命令後も、閑散工場の余剰従業員の繁忙工場への臨時の応援、退職者の不補充、繁忙工場における臨時雇いなどの代替措置で対処し、また対処している(現に、本件転勤命令後、小浜工場から大村工場への臨時の応援も生じている。)だけでなく、本件転勤命令時において将来とも、小浜工場は出荷量が現状維持ないし増加傾向であり、本社工場及び大村工場は出荷量が減少傾向であると断じうる程の確定的なものはなかったとみるべきであるから、結局のところ、右転勤の必要性も、代替措置で対応し得る程度のもの、言い換えれば、相対的なものであったとみることができる。

2  原告の第一組合に対する態度について

前記認定に(証拠略)、参加人高比良恵司本人尋問の結果、調査嘱託の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められ、(証拠判断略)、他に以下の認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  原告には、昭和五二年当初において、労働組合としては第一組合のみがあったが、組合員の一部には、組合に、組合員の意見が反映しておらず、組合三役が独断専行で原告と争議行為をかまえているとの不満があって、同年一〇月二一日、本社工場及び小江原工場の三四名が、第一組合を脱退して第二組合を結成した。

(二)  高比良は、原告に就職を希望して昭和五二年一二月一二日に原告の若松部長と岩岡係長の採用面接を受けたが、そのなかで、若松部長から、勤務条件や原告の一般的説明のほかに、組合について、組合が二つあり、一つは争議行為をする組合ともう一つは原告のいうことを良く聞いてくれる組合があるから、よく考えて入るように説明された(原告は、両組合とも同盟系の組合であり、その方針に差異はないから、このような説明をする必要はないと主張するが、従来、第一組合は、争議行為に訴えることが多く、その争議行為が組合幹部の独断専行に基づくものであったか否かはともかく、彌吉常務は第一組合の争議を目して山猫ストを多発させる組合との認識を抱いており、事実、第一組合は、原告の業務遂行にとって支障となり、労務対策上の問題であった。)。

(三)  原告は、昭和五三年一二月二〇日に、従来のいわゆる三六協定が期限切れになるため、新たに協定を締結する必要にせまられた際、従来は第一組合と右協定を締結していたのに、第一組合と全く協議することなく、急遽、第二組合と非組合員を合わせた全従業員の過半数とで三六協定を締結し、第一組合を疎外する態度を示した。

なお、この三六協定締結にあたって、島原工場においては、第一組合が従業員の過半数を占めていたので、島原労働基準監督署から、原告に対し、各事業所ごとにその過半数を代表する者との間で三六協定を締結するよう是正勧告がなされた。

(四)  原告は、従来、第一組合についてその組合費の給与天引(チェックオフ)を行っていたが、昭和五三年一二月の年末一時金についての争議中の同月二一日ころ、団体交渉の席上で、彌吉常務は、当時の第一組合委員長に対し、労務政策その他の参考上教えていただければ幸いだと釈明してスト権確立の際の賛成、反対の数を尋ねたが、同委員長から、「答える義務がないなら答えない。」と拒絶されたことに対し、「それならチェックオフも義務がないのでやめさせてもらう。」と発言し、第一組合に対してチェックオフを止め、次いで第二組合に対してもチェックオフを廃止した。

これに対して第一組合は、同月二五日に、被告に対し、原告が第一組合との三六協定締結をしなかったこと、第一組合のみ年末一時金の支給をしなかったこと及び第一組合に対しチェックオフをしないことについて、原告が第一組合と第二組合とを差別する方針を示したとして不当労働行為救済の申立(長崎地労委昭和五三年(不)第一一号事件)をなし、同事件は昭和五四年三月二二日取下により終了したが、その間、年末一時金不支給をめぐる争議は、被告の斡旋により、原告が第一組合に対して解決一時金一人二万円の上積みを支給をすることで妥結し解決したが、すでに妥結していた第二組合及び非組合員に対しても、同額の金額を生産奨励手当及び餅代として支給した。

(五)  原告大村工場においては、昭和五四年二月ころ、大村市議会議員選挙立候補者の推薦について第一組合内部に対立があり、同年三月ころ、第一組合員中約一四名が脱退して、第三組合が結成されたのであるが、同年一二月の忘年会と退職する第三組合員の送別会を兼ね、大村工場長ほか管理職も出席して開催された宴会の席上、大村工場の主任が、閉会の挨拶をするに際し、全員を起立させたうえ、「長崎生コン新労組(第三組合)万歳」と音頭をとり、第一組合員以外の全員で万歳をした。

この報告を受けた第一組合は、原告が、第一組合を切り崩すものではないかと危懼し、通常、各支部の役員は三名であるところ、大村支部においては全員を執行委員とすることとし、昭和五五年の組合定期大会に提案し、その承認を受け、現在に至っている。

(六)  第一組合は、昭和五二年の組合分裂後その勢力が弱体化し、本社工場においては、昭和五二年一〇月の分裂時には、第一組合員一一名、第二組合員二〇名という構成となっていたが、その後、第一組合員は、二名が主任昇格により脱退、二名が退職、六名が脱退し、昭和五六年には、高比良ただ一人となった。

この脱退者六名のなかに、昭和五七年一月、第一組合に復帰した赤松一男がいたが、同人が第一組合を脱退する直前、同人の妻から、当時の第一組合執行委員長に「この組合にいたらクビになるかもわからないから辞めさせたい。」旨の電話があったこともあり、当時の原告の従業員中には第一組合に所属していると差別を受けるという意識が強かった。

3  原告会社における従前の転勤の状況について

前項掲記の証拠によると、原告会社就業規則二二条には、「会社は業務の都合により、転勤、出向、職種又は職場の変更をさせることがある。この場合、正当な理由がない限り、従業員はこれを拒否することが出来ない。なお、転勤の場合は、原則として発令の日より一週間以内に赴任しなければならない。」と規定されている。しかしながら、原告は、従来、運転手の採用については、各工場でその地域周辺から募集して、本社で面接を行い、原告が採用を決定したときは、募集した工場に勤務させていた。また、原告は、特別な事情がなければ転勤をさせない方針で、これまでの転勤は、工場の廃止・新設、技術者・幹部職員の補充、本人の希望によるものがほとんどであり、工場の新設に伴う転勤の場合でも、本人にその必要性を説明して、納得させて転勤させていた。事実、過去の転勤命令に対し、本人から不満の意思が表明されたり、組合が転勤に反対した事例はないうえ、本件転勤命令の場合、昭和五七年二月五日の労使懇談会の席で、原告から三つの組合に対し、経営合理化の一環として人事異動を行う旨の一般的説明がなされただけで、本人又は第一組合に対し、人選基準を説明したり、本人の了承を得るための努力をした形跡はなかった。以上の事実が認められる。

4  以上認定判断したことを総合すると、原告が、第一組合から第二、第三組合が分裂するにつき支配介入した事実は認められないものの、第一組合が従前争議行為を多発させたことに少なからぬ嫌悪感情を有し、その結果第二組合、第三組合が分裂して組織されるに至ってからは、第一組合に疎外的態度をとっていたと推認することができるところ、前叙のように各工場の出荷状況の増加、減少に対する措置としての転勤の必要性は未だ相対的なものにとどまっていたのに、本件転勤命令は、過去に例をみない本人の意思に反する形で、第一組合員のみがその対象にされた(第三組合員永尾浩一に対する転勤命令は、その希望であったこと前認定のとおり。)点を考慮すると、高比良、福島に対する本件転勤命令は、不況対策を口実に第一組合の弱体化を計る意図のもとに、同人らが第一組合の組合員であることを主たる理由として転勤対象者に選任されたと推認することができる。

以上によれば、原告の本件転勤命令を不当労働行為(労働組合法七条一号、三号)であるとした被告の判断は、正当として是認することができる。

三  バックペイについて

1  原告は、本件救済命令のうち高比良に対するバックペイの部分は、被告の裁量権行使の合理的限界を越えると主張するので、検討する。

2  労働委員会が、不当労働行為により転勤を命ぜられた労働者の救済として、原職復帰までの賃金相当額の遡及支払を命ずる場合に、当該労働者が右期間中他の職に就いて収入を得ていたときは、労働委員会は、<1>当該労働者に対する侵害に対する個人的被害を救済するという観点だけではなく、<2>当該転勤命令を受けた労働者らの組合活動一般に対して与えた侵害を除去し正常な集団的労使関係秩序を回復、確保するという観点をも考慮して、合理的裁量により、右期間中他の職に就いて得た収入の控除の要否及びその程度を決定しなければならないというべきである。

そこで、以下、本件転勤命令によって、高比良の受けた不利益と第一組合の受けた不利益を順次検討するに、前記認定事実に、(証拠略)及び参加人高比良恵司本人尋問の結果、調査嘱託の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  高比良が受けたとする不利益について

(1) 高比良は、原告に対し、従来どおり本社工場で勤務させるように要求したが、原告から拒否されたため、就労することができなかった。そのため高比良は本件転勤命令前月平均約一五万円の給与を受け取っていたが、右賃金を受け取ることもできなくなったので、昭和五七年四月以降有限会社愛宕タクシーで臨時雇いの運転手として勤務して月平均で約二五万円の収入を得ている。

(2) もっとも右タクシー会社の勤務条件について見ると、労働時間は、午前八時から翌日の午前八時までの二四時間の隔日勤務であり、年中無休で、日曜・祭日もなく、欠勤は自由といっても臨時雇いであるから欠勤が多いと直ちに雇い止めの危険を伴い、賃金も全額歩合給で、常雇いのタクシー運転手よりも歩合率は低く、高比良の、原告会社でのコンクリート・ミキサー車の運転手としての勤務形態より相当に厳しいものの、高比良は、従前から右タクシー会社にアルバイトとして勤務し月に一万五〇〇〇余円から約五万五〇〇〇円程度の収入を得ていた事実があり、右タクシー会社への就職は容易であり、勤務にも馴れていた一面も否定できない。

(二)  第一組合が受けたとする不利益について

(1) 本件転勤命令は、前認定のとおり原告の第一組合に対する嫌悪感情が根底にあって発せられたものであることからすると、第一組合員に対しては、その意思に反する転勤命令がありうるという無言の圧力となっている。

(2) また、本件転勤命令前三つに分かれている組合を統一しようという気運があったが、本件転勤命令にともなう紛争により頓挫し、これが解決するまで棚上げの状態になっている。

(3) 高比良は、組合活動に熱心で執行委員の経験もあり、労働金庫担当としての仕事をしていたが、特に本社工場が第一組合員二名になったあとは、支部の支柱的存在となっていた。従って高比良が本件転勤命令によって、本社工場に勤務できなくなったことにより、本社工場の第一組合員は赤松及び高峰のみとなったが赤松は、一度第一組合を脱退したこともあり、復帰後も組合活動をほとんどしていなかったし、高峰は高血圧で組合活動を期待できなかったので、本社工場における組合活動は、ますます停滞しただけでなく、労働金庫の担当者がいなくなって、第一組合の福利厚生活動も低下し、第一組合の組織強化の障碍となったが、第一組合の組織は以前どおり維持されている。

3  以上の認定事実を総合検討すると、高比良は、本件転勤命令により従来の勤務場所への就労を拒否された後、従前、アルバイトをしていた愛宕タクシーにタクシー運転手の臨時雇いとして勤務して、従前の収入(月平均約一五万円)を相当に上回る収入(月平均約二五万円)を得ていたのであるから、生コンクリート運搬車の運転手とタクシー運転手の勤務条件に相当の差異があり、タクシー運転手の勤務条件が厳しいこと、原告のした本件転勤命令が組合活動にも若干の影響を与えたことなどを考慮しても、組合活動に与えた影響が右認定の程度では、他収入の控除を不問に付するのが相当であるとするだけの特段の事情とは認め難い以上、原告に命じるバックペイの金額を決定するにあたって中間収入の控除を全く不問に付したのは相当とは言えず、合理性を欠くというべきである。

よって、被告のした右バックペイの命令は、結局、裁量権の合理的な行使の限度を越えたものとして違法というべきである。

四  まとめ

以上のとおりであるから、原告の請求は、本件救済命令のうち高比良に対して昭和五七年三月一五日付の転勤命令が発効した日から現職復帰までの諸給与相当額(これに対する年五分の割合による金額を含む。)の支払を命じた部分の取消を求める限度で理由があるから、これを認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用(参加によって生じた費用を含む。)の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九二条、九四条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松島茂敏 裁判官 池谷泉 裁判官 小宮山茂樹)

別紙

一 被申立人は、申立人高比良恵司及び同福島強に対する昭和五七年三月一五日付の転勤命令を撤回し、同人らを原職場に復帰させなければならない。

二 被申立人は、申立人高比良恵司に対して、前記の転勤命令が発効した日から原職場復帰までの間の給与相当額(これに対する年五分の割合による金員を含む)を支払わなければならない。

三 被申立人は、本命令受領後速やかに、下記の文書を申立人長崎生コンクリート労働組合に対して手交しなければならない。

昭和 年 月 日

長崎生コンクリート労働組合

執行委員長 小林義一殿

長崎生コンクリート株式会社

代表者代表取締役 上野喜一郎

当社が、昭和五七年三月一五日付で行った高比良恵司氏及び福島強氏に対する転勤命令は、労働組合法七条に該当する不当労働行為であると長崎県地方労働委員会によって認定されました。今後、このようなことのないようにいたします。

四 申立人のその余の申立は棄却する。

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